現代の外地詠 3
表現はあくまでも写実に微して、一切の主観を排除しています。
しかも作者の心情が強い緊張をともなって生き生きとはたらいていることは、初句の「しばしばも」三句の「ひびきたり」の切り方、下句の一気に言い切った節調のいさぎょさに十分表われています。
二首目、作者が草いきれの中に立って、ある感慨の去来に心をただよわせていることは、結句の「来にけり」というさり気ない四音に暗示されています。
おそらく山本は、香川とちがって、「外地詠とは」というようなことは考えなかったに違いないでしょう。
内地でも外国でも変わることのない太い一本の線を、彼はつらぬいているのです。
「かくゆらぐこころひとりの思い出のアルノをこめし緋に燃ゆる雲」
「あかあかと夕日の色をわかちつつ広場の壁と客待てる馬車」
・・・これは、「フィレンッェ回想」と標題があるから、帰国後の作でしょう。
この歌集は1965年より68年夏にかけての作とあります。
山本の作品が徹底した写実で、背後に作者の心情をひそめているのに対し、近藤の場合は一首が作者の心情によって色濃く塗りつぶされています。