怨霊との闘い
歴代天皇や武将の必死の鎮魂にもかかわらず、崇徳院の怨霊はことあるごとに出現した。
そして、その怨霊との闘いはついに明治維新まで続いたのです。
戊辰戦争(1868~69)の際、朝廷方が旧幕府方の軍勢と一戦を交えようとしていたときのことです。
朝廷内部にはまたしても崇徳上皇の怨霊の件が取り沙汰されました。
この重要な一戦で崇徳院の怨霊が敵方に味方するようなことがあっては一大事だ、ということが真剣に討議されたのです。
もともと朝廷に対する強い恨みを残して世を去った崇徳院であるから、官軍に対抗する賊軍に味方するのは当然のなりゆきと考えられたのでした。
明治天皇もこのことを大いに憂いて抜本的な解決策が検討されました。
一刻を争う状況のなかで決定されたのは、明治天皇が崇徳院の霊に衷心より詫びて、京都にその霊を遷座するということでした。
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