ルーブル合意
貿易赤字の解消は米国一国の手には負えず、ほかの国の手を借りる基軸通貨のドルが暴落すれば、日欧も困ります。
・・・米国はその弱みをついたのです。
いわば、米国にとっての「天動説」です。
その後もべーカー長官ら米高官のトークダウンでドル安は進み、1ドル=150円台までつけ円高不況が一段と深刻な兆しを見せる中で、86年10月、宮沢蔵相が急きょ米国に飛んでいます。
べーカー長官と会談し、日本が3兆6千億円にのぼる補正予算や減税の早期実現、利下げといった財政金融政策で大きく譲歩する代わりに、「米国も為替安定に協力する」との合意を初めて引き出しました。
さて、米国のドル安誘導政策が大きく転換するのは、87年2月のパリでのG5・G7「ルーブル合意」です。
米国が執拗にドル高是正と称して、ドル下げを押し進めた結果、米国への資本流入が落ち込む恐れが出てきました。
米金利が上昇の兆しを見せ、原油価格の上昇によるインフレ懸念から、米国自身にドル安を抑える必要が高まってきたわけです。
この会議では、各国通貨の間に参考変動幅(レファレンス・レンジ)を設けました。
「これ以上のドル下落は各国の成長と調整に有害。
各国は為替相場を当面の水準の周辺(アラウンド・カレント・レベルズ)に安定させるために緊密に協力する」
・・・と宣言し、一転してドル安定を目指しました。
プラザ以降の第二局面です。
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