住まいを考える 2

木は、細胞の中に空気を取り込んでいるため、熱伝導率が小さく、優れた断熱材なので、触って温かく感じます。


タイル張りの浴室やコンクリートの土間などは、芯から冷えますよね。


ノルディックウォーキングなどをして健康を考えるならば、身近に温かいものを使うことです。


だから、壁や天井に本物の木を張るのです。


また、木は湿気を調整してくれます。


極度の湿気も健康によくないし、極端な乾燥も風邪などを引きやすくします。


木は、湿気が多いときには吸ってくれて、周りの空気が乾くと吐き出してくれます。


加えて、木は心地よい響きを与えてくれます。


四方コンクリートや鉄板に囲まれた部屋では、音が反射して、話が聞きにくいものですが、木は適度に音を吸収し、響いてくれます。


このように、鉄やコンクリート住宅の内部にこそ、自然の木、無垢材を使うことが、快適な室内空間を作る知恵といえます。

住まいを考える

住まいを休息の場、人生の3分の1といわれる睡眠の場と考えると、安らぎが与えられる健康的なものでなくては困るでしょう。


鉄やコンクリートは健康によくないといえます。


ベッド 通販などでもわかるように、インテリアに使用されていることもありません。


鉄は熱伝導率が高いため、接する空気を冷やし、そばにいる人の熱を奪います。


コンクリート住宅は、例えると水で造った建物みたいなもので、コンクリートの水分が抜けるまでに2年から長ければ7年くらいはかかるといわれています。


長い間、湿気の多い状態が続きます。


また、熱容量が大きいので、寒いときはとことん冷え込むし、夏の暑い太陽に照らされると、徹底的に熱を取り込むのです。


鉄もコンクリートも結露しやすく、湿度の調整は不可能です。


そこで、なんらかの事情でこのような建物の中に居を構える場合は、内装に「本物の木」を使うことをおすすめしたいですね。


自然の木はなぜ健康によいのか、お考えになったことがあるでしょうか?


まず、触って冷たくないのです。


これは身近の熱を奪わない、体温が冷やされないということです。

現代の外地詠 3

表現はあくまでも写実に微して、一切の主観を排除しています。


しかも作者の心情が強い緊張をともなって生き生きとはたらいていることは、初句の「しばしばも」三句の「ひびきたり」の切り方、下句の一気に言い切った節調のいさぎょさに十分表われています。


二首目、作者が草いきれの中に立って、ある感慨の去来に心をただよわせていることは、結句の「来にけり」というさり気ない四音に暗示されています。


おそらく山本は、香川とちがって、「外地詠とは」というようなことは考えなかったに違いないでしょう。


内地でも外国でも変わることのない太い一本の線を、彼はつらぬいているのです。


「かくゆらぐこころひとりの思い出のアルノをこめし緋に燃ゆる雲」


「あかあかと夕日の色をわかちつつ広場の壁と客待てる馬車」


・・・これは、「フィレンッェ回想」と標題があるから、帰国後の作でしょう。


この歌集は1965年より68年夏にかけての作とあります。


山本の作品が徹底した写実で、背後に作者の心情をひそめているのに対し、近藤の場合は一首が作者の心情によって色濃く塗りつぶされています。

現代の外地詠 2

第二次大戦後の民族独立運動が、フランスの植民地支配を絶ち切った数年後であり、まだ不幸な南北の対立抗争ははじまっていません。


独立戦争を戦った兵士たちは、軍服を捨て、民衆と同じ服装をして、民衆と共に畑作業をしています。


この歌は単なる「目前の事実」を歌っているのではありません。


「兵衣をいま見ず」は、かつて彼らが兵衣をまとっていたことを前提としての表現であり、作者はここで事実よりも、事実の持つ意味を汲み上げているのです。


「フランスが惜しみつつ遺せし護誤林」にも同じことが言えます。


ここには香川の思想が見られます。


あるいは認識といってもいいですね。


「しばしばも鞭音たかくひびきたり吾が馬車あつき風にい向ふ」


「砲弾のくぼめし土のひとところ草いきれ立つときに来にけり」


・・・これは昭和5年、白秋の最初の一首「寒月は」の1年後、おなじ束難冠山の古戦場での作です。


季節が夏である点をのぞいても、作者によって把握がいかに違うかの例としてあげました。

現代の外地詠

歌集『印度の門』の後書で、著者香川進は次のように書いています。


「・・・およそ外国詠というものは、うちに沈潜する作家の場合でも、多く目前の事実の奇にとらわれ、自己の自由をうしなう結果となっているようであり、まして、感覚を尊重する立揚のわたくしにとっては、危険をともなう・・・」


「・・・タイ国の亜片窟そのほか、一種の完結体としての短歌形式にはめこんでしまうことは、わたくしにとっては苦痛をともない、したがって素材として強烈であればあるほど、歌にならなかったものも、かなりある」


茂吉の場合、歌の表現に変化があらねばならぬという「予感」だったものが、ここでははるかに明確に、しかも「歌人」という表現者の内面の痛みをともなって、自覚されてきています。


言いかえればここではじめて、外地詠とは何か、の問題が正面から取り上げられています。


香川の歌集は、2回にわたる東南アジア、インドの旅の作品をおさめたものですが、巻末の二篇の散文から、1956年ころと分り、戦後の外地詠としては比較的早い時期のものです。


「民衆のなかにいて彼ら耕せぽ兵衣をいま見ず麦生の緑」


「蛇除けが暗しフランスが惜しみつつ遺せし護談林の奥に陽がさし」


・・・これは、今から20数年前のベトナムでの作です。

茂吉と白秋 5

「外蒙古西吹きあげて東する沙漠の大き移動をぞ思ふ」


「霧らす黄沙の平ただならず日は朱に澱み蒙古犬吼ゆ」


「眼を放つ草原の枯れ涯もなし牛跳躍す落つる日の前」


「伝家屯(フーカトン)夕かげ暗し地に低き土の家群の煙あげつつ」


「赫爾洪得(ヘラハンテ)夕日の照りにうつら出て酪駝黙居り高き砂山」


茂吉が短歌の波長を無視し、表現の破綻をもかえりみず、強引に素材を掴みとるのに対し、白秋はあくまでも、表現の整斉をくずさず、しかも未知の素材を十分になこしきっています。


言いかえれば、白秋の波長はそれだけ広い領域をカバーし得たのです。


「沙漠の大き移動」というような事象と正面から取り組んで、何の破綻も示しません。


茂吉の場合、固有名詞やドイッ語をふんだんに一首の中へ取り入れていますが、一首の節調のうえではきしみを起こします。エグゼクティブトレードによると、白秋の場合、フーカトン、ヘラハンテは、そうしたきしみを感じさせません。


もちろんインド・ゲルマン語と、中国語、蒙古語とでは音韻の構成がちがうので一概に言えませんが、少なくとも白秋は外国の固有名詞を用いるにも、節調上の用意をしています。


この時の作ではないのですが、「口をつくハロン・アルシャンといふひびき新秋にして我れも癒えなむ」などは、蒙古語の語感を積極的に利用して効果をあげています。

茂吉と白秋 4

「白霊」は小鳥の名です。


今は見られませんが、中国人は小鳥が好きで、一日中門前の石ころなどに腰かけて、小鳥の哺声を聞くでもなく聞かぬでもなく、ぼんやりと日を暮している老人をよく見かけました。


「老」でなく「爺」と言ったところが一首の急所でしょう。


太平洋戦争中、従軍して旧満州にいたころ、彼の地の日本人青年たちの文芸同人雑誌で次のような文章を読んだ記憶があります。


「多くの文学者が満州へ来たが、白秋ほどこの国の風土をさながらに表現した者は他にない」・・・と。


筆者が白秋のどの作品を指して言っているのか分りませんいが、ここに挙げた作品などはその例証となるでしょう。


旧満州はアジアの東端にありますが、気候圏から言えば、西アジア、中央アジアの乾燥地帯と同じです。


従って人々の生活様式は、アフガニスタンあたりとそっくりです。


白秋の眼は適確にその風土をとらえています。

茂吉と白秋 3

北原白秋は、昭和4年3月から4月にかけて、40余日間、満州(現在の東北地方)蒙古を旅行し、その折の作品は、歌集『夢殿』におさめられています。


「寒月は谷を埋むる屍にまた冴えたらし或はうごくに」


「影つけて日向選り来る荷かつぎの肩かへにけりたぶつく水桶」


「鳴くまでは白霊の籠手に据ゑて爺ぞ居りける春のひねもす」


「くらくらと牛の頭煮たつ大釜の湯けぶりにしもや夕日ま赤き」


最初の一首、「屍山をなす」といわれた、日露戦争の古戦場に立っての作。


いわゆる写実の歌ではありません。


作者は早春の真昼の太陽を浴びて古戦場に立ち、20数年前の模様を思い描いています。


想像の中では、痛いほど冴えかえった空に斉がかかり、るいるいと戦死者の弊横たわる眼下の谷を昭州らしています。


ふとしては、動くはずのないその屍体が、かすかに動いたように思われます…。


二首目は解説を要しないでしょうが、「影つけて」に工夫があるでしょう。


空気の乾燥した大陸では、影と日向のコントラストがよけいにきわ立ちます。


そこをとらえています。


茂吉と白秋 2

「雪つもる独逸のくに」の単純化、「南へくだる」の、目新しい国へ踏み入った旅人の心おどりをさながら伝える節調。


「黒くつづける常緑樹の森」の名詞止めの重量感など、作者の精神が外地の風物に触発されて生きいきと躍動する気息をよく伝えています。


「十年に一度のみなる受難劇ひとり旅路のわれ会ひにける」


「基督の一代の劇壮大に果てむとしつつ雷鳴りわたる」


「古城にては「ひよつとこ」の面ひとつ見ついかなる時に渡来しつらむ」


「西瓜、瓜、桃、李、巴旦杏、青唐辛子をも店にならべつ」


前にあげた石原以下の作品が、自分の持つ短歌世界の波長に合わせて歌われているのに対し、ここでは茂吉は、おのれの波長の限界を破ろうとしています。


「ひょっとこ」の歌など、当時の短歌観からすれば、乱暴な方に属するでしょうし、西瓜の歌もそうです。


ヨーロッパの農村に残る(今はほとんど失われたか観光化していますが)受難劇・・・


おそらくそれは、キリスト教以前に伝わった、一年に一度死ぬことによって復活し、翌年の収穫を約束するオリエントの穀物神、タムムズやバールの祭儀の変形したものでしょうが、たまたまその場面に出会った東方の一旅行者の目にしたもの・・・。


それは、かつて日本の短歌などが一度も出会ったことのない、いわば波長の合わない光景だったに違いないでしょう。


「ひょっとこ」の歌は、前書きでニュールンベルグ城でのことと分かりますが。これも、次の西瓜の歌も、当時としては短歌の波長からはみ出した、いわば八方破れの表現といわなければなりません。


茂吉の持ち前の旺盛な好奇心と、「出来るに従って漫然と書きつけた」肩ひじ張らない態度とが結びついた結果と言えるでしょう。

茂吉と白秋

斎藤茂吉の場合を見ましょう。


彼は大正11年(1922)万から12年7月までオーストリアに留学し、その間ドイツ、ハンガリー、イタリア等に旅行しています。


時期的には原のそれと重なります。


この間の作品をまとめた歌集『遠遊』の後記には、


「心を凝らして一首一首の錬成をすることが不可能であったから、出来るに従って漫然と書きつけたものが多く、全く歌日記程度のものになってしまった」


しかし・・・


「留学の途にのぼらうとした時、外国の風物に接するにあたっては、歌の表現にもおのつから変化があらねばならぬという予感があった。


また実際に当ってもその心構が常にあったということは、この集が証明している」


・・・と書いています。


「わが心やうやく和み雪つもる独逸のくにを南へくだる」


「見わたしの畑に雪降りかぎりには黒くつづける常緑樹の森」


「酸模の花のほほけし一群も異国ゆゑにあはれとおもふ」


・・・たしかにこうした作品は、主観を直情的に投げ出したような『赤光』の作品(たとえば「天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ」)とは肌合いがちがいます。

カテゴリー

管理人のお気に入り

包茎 福岡

福岡で包茎・カントン包茎・仮性包茎・真性包茎・包茎手術や治療、亀頭増大、コンジロームなどの性病治療を行うなら包茎・増大・長茎治療専門メンズクリニックの小倉スキンケアクリニック。九州各県や山口県・大分県の方もご来院いただいております。

  • ハンガー
  • ハンガーの企画・製造・販売会社TAYAのサイトです。製造メーカーの株式会社タヤが付加価値をもった、オリジナルハンガーをご提案します。ご要望(デザイン・機能)をご連絡ください。国内生産で小ロット・短納期に対応いたします。
  • 愛知 引越
  • 栄光社は生活物流におけるお客様満足の追求と豊かな環境の育成を永遠のテーマと致します。
茅ヶ崎 賃貸

湘南エリア(藤沢・辻堂・茅ヶ崎・鎌倉)の不動産売買・賃貸情報!湘南の売買・賃貸物件はお任せ下さい。

ガーデニング用品

園芸用品、ガーデニング用品、農業資材、包装資材などを幅広い商品を取り扱っております。元祖、農家の店カクヤスでは農業、農園、家庭菜園をされている方々を応援しております。